先日、実家に帰省したのですが、高齢な両親が元気なのを見ていて、
「知らなくていいこと 気にしない方がいいことってあるんじゃないかな?」
と思ったことがありましたので、今回はそれをお伝えします。
私の両親は両方とも83歳で山形の田舎町で暮らしてるんですけども、関東から移住してもう30年ぐらい住んでいます。
二人を見て、私自身と比べてみると、
私はどちらかというと、出来る範囲で物事を調べて、
:自称健康オタクで出来るだけ食生活にも気を配っている
:少しでも運動するようにしている
:最近は、血圧も測ったりしている
:普段の生活から食品を買う時にも食品表示を見ながら注意してる
んですね。食べたい物もガマンする時も多いです。
両親は、
:食生活は本当に質素。お米と納豆、野菜、魚、豆腐中心で、肉を適当に食べている
:健康とかなんにも気にしていないし、特別に運動はしていない
:血圧は高いのに、計るのは病院に行った時だけ
:食品表示なんて気にしたこともなく、菓子パンだとかカップラーメンとかなにも気にしないで食べる
:親父も普通に焼酎を飲んだりビール飲んだり80過ぎたって何にも気にしないで食べたいものを普通に食べているだけ
:両親だけなので、自分達でなんでもしなければならない生活なので、気が張っているのかもしれない
両親がまだ普通に生きているのはシアワセなんですけど。
というか、こんなに健康だとか食生活に気にしている自分がバカバカしくなります。(笑)
両親を見ていると、今更じゃないんですけどあまり物事に動じないって言うか、細かいことを気にしてないんです。
いつも「まあなんとかなるわね」っていう感じ。
この何とかなるわというのは、個人の性格的なものだと思います。
また新聞とかテレビ以外は情報も取っていないのです。余計な心配はせず、シンプルなんですね。
ひょっとしたら、そもそも「不健康になることを知らない・気にしないから恐れていない」から健康なんじゃないか?と。
知らぬが仏というのはこのこと?(笑)
それに対して、私はと言えば、情報を取り過ぎている、余計なこと考え過ぎているんじゃないかって思ったのです。
というか、自分がコントロールできていないんじゃないか?
わかんないけど、手に負えない大きな犬を飼ってしまっているような感じなのです。
自分にとって要らない情報も見たり読んだりして、余計な心配ごとが増えている。。。その余計な心配事のために、行動が止まってしまう気がするのです。
だから、ちょっとまずいなと思って、
「知らぬが仏」を意識する、のもアリなんじゃないか?
自分に必要な情報は最小限にして、それでまずは行動してみるしたほうがいい、と気付いたんです。
ではその必要な情報の最小限の範囲はどのくらいか?ですが、
最初の行動を起こすまでなんじゃないかと思います。
迅速に初動を起こしてから、次の情報を入手・行動するのがいいような気がします。
自戒を込めて。(苦笑)
あなたの何かのお役に立てばと願っています。